WealthNavi
ウェルスナビ
創業ストーリー

働く世代の誰もが、安心して資産作りを任せられる存在へ。
ウェルスナビを創業した柴山和久の「新しい金融インフラを作りたい」という思いはこうして生まれました。

INDEX
  1. CONTENTS01
    きっかけは日米の“金融格差”
  2. CONTENTS02
    金融×テクノロジーへの挑戦
  3. CONTENTS03
    資産作りのインフラを目指して
※ 画面はイメージです。
CONTENTS01

きっかけは日米の“金融格差”

ウォール街で働いていた柴山はあるとき、アメリカ人の義父母の金融資産に衝撃を受けました。日本にいる自分の両親の資産と、実に10倍の開きがあったからです。

2010年秋、当時32歳だった柴山和久(現ウェルスナビCEO)は、日本で就職活動をしていました。00年から約10年在籍した財務省を辞め、パリ郊外の経営大学院・INSEAD(インシアード)へ留学。苦労の末、優秀な成績で卒業しましたが、帰国後の再就職は一筋縄ではいきませんでした。

面接が週に1~2度あるほかはやることがないので、妻と二人で毎日、四谷三丁目のスターバックスに通っていました。毎朝店に訪れると一杯のレギュラーコーヒーを二人で分け合って飲み、午後も同じ店を訪れ、二人で一杯のコーヒーを注文するのです。スターバックスでは当日コーヒーを買ったレシートをもって行けばもう一杯を100円で飲めたのですが、このシステムを私たちのように使っている人はいませんでした。

私たちが一杯のコーヒーを分け合う横で、バギーに乗った犬がマンゴーフラペチーノを食べさせてもらっている。自分は世の中に必要とされない人間なのではないか――。

このときが人生のどん底で、5年後にウェルスナビを創業するということなど想像もできませんでした。

マッキンゼー時代に学んだこと

公務員10年を経てMBA留学という経歴が即戦力にならないと思われたからか、20社近く書類選考や面接に落ち続けました。卒業して3ヵ月経ったところで、コンサルティングファーム、マッキンゼー・アンド・カンパニーから内定を得ました。

経歴だけ見れば順風満帆かもしれませんが、マッキンゼーには「拾って」もらったようなもの。財務省を辞めたときに1,000万円あった貯金は、マッキンゼーから内定を得たとき夫婦で8万円になっていました。

マッキンゼーでは10兆円規模の資産を持つウォール街の機関投資家をサポートしました。クオンツ(金融工学の専門家)とチームを組み、リスクをコントロールしつつリターンを最大化させる資産運用システムを10カ月かけて構築したこともあります。

この頃、海外の機関投資家や富裕層の間では、ノーベル賞理論に基づくアルゴリズム(数式)を使うのが資産運用のスタンダードでした。私たちが作った資産運用システムも、世界水準のアルゴリズムをベースとしていました。

同じ時期に柴山は、起業のきっかけとなる衝撃的な経験をしました。

クリスマス休暇に妻の実家へ帰ったときのこと、妻の母から「ウォール街の機関投資家をサポートするのもいいけれど、私たちの資産も見てくれない?」とお願いされたのです。プライベートバンクに資産運用を委ねているというのですが、それには最低でも3~5億円の資産が必要。にわかには信じられませんでした。

蓋を開けてみれば、確かに数億円の資産があり、しかもETF(上場投資信託)を中心にバランスよく運用されている。仕事で機関投資家の運用をサポートしていた身からしても文句の付けようがない中身に、二度驚きました。

右側は妻の両親

30年の資産運用が生んだ「10倍」の差

妻の父は公務員で、母は石油会社に勤めていました。若い頃から余裕資金をすべて積み立て、世界中の株式や債券に分散投資してきたそうです。資金を少しずつ増やしながら30年ほどかけて運用していたら、リタイアする頃には億を超える資産に成長していたのです。

妻の両親の資産を知ってすぐ頭に浮かんだのが、日本にいる私の両親のことでした。金融機関に勤めた両親は退職金で住宅ローンを完済し、数千万円を手元に残しました。恵まれた層だとは思いますが、年齢も学歴もそう変わらない妻の両親とは、老後の資産に10倍の差がありました。

柴山の親世代の日本人にとって、給与は銀行預金に寝かせておくもの。一部を資産運用に充てるというのは、決して身近な方法ではありませんでした。

アメリカではランチタイムに同僚と資産運用の話で盛り上がることがありますが、日本ではほとんどないでしょう。資産作りに関心はあるけれど、信頼できる相談相手が見つからず悶々としているという人はたくさんいるはずです。

両親が若かった頃、一般の人でも世界水準の資産運用ができるサービスが日本にあれば、“10倍の差”は生じなかったのではないか……。ウォール街の機関投資家のために働く日々に充実感を覚えながらも、私の思いはどんどん募っていきました。